シン・ゴジラを流れる空気とは何か【ネタバレしかない】
2016年8月19日 映画 コメント (1)シン・ゴジラ、とっても面白いですね。
5回見ていろいろと感じたところをまとめてみます。
ネタバレばかりだよ
・ゴジラが現れたらどうなるの?
今回の作品は、現場が中心ではなく、政治、つまりリーダーたちがどう対応しているか、ということに焦点が当てられています。
岡本喜八監督「日本の一番長い日」のオマージュを指摘されているのは公然の通りですが、怪獣映画は冒険映画というところから、メインのターゲットは成人済みの人々、ということを考えるとのめりこみやすいのは政治劇なのかもしれません。
しかし、政治というものも、皮をむいてみれば、現場の延長、もっとも抽象的な現場であるということを本作では表現できているのではないでしょうか。
政治は何をするのか、つまり、会議です。
会議による手続き主義によって、状況に対してどんどん対応が遅れていき、被害が拡大していく、という現状への皮肉が描写されているように感じます。
最終的には、やはり政治と民主主義が主導してゴジラを屈服させるところを含めて、全体的には、会議や政治へのパロディーのように感じます。
・米国はケツをまくるのが早い。
日本が主体的に状況に立ち向かうべき、という意思もあるかもしれませんが、
同盟関係にある米国はいやに諦めが早く、ケツをまくるのが大変早いです。
ゴジラ第4形態と自衛隊の総力戦であるタバ作戦の失敗をみるや、朝霞の指揮所から米国の関係者が撤退していくのが早いです。
また、ゴジラの共同研究として送り込まれてきた米国の専門家たちも、ゴジラにフェイズド・アレイ・レーダーと同等の器官が存在することを示唆したのみで、ゴジラが無性生殖による個体の増加の可能性が指摘されるなり、会議室を飛び出していきます。
米国は無責任という意見もあるでしょうが、実のところ、日本も当事者でなければこういう態度に出る可能性はあるでしょう。
国際間の国の関わり合い方というドライな視点かもしれません。
また、臨時内閣組閣直後の外務省報告で「対馬沖で不穏な動きが見られます。」という内容が話されます。これは露骨に中・韓が日本の有事に領域を脅かしていることの示唆で、やはり国の関わり合い方の視点であると感じられます。
・ワープするゴジラ
ゴジラが鎌倉に再上陸し、最終的には東京駅でスリープ状態に入ります。
結構な距離を移動していますが、移動する行程はすべて描写されません。
特撮画面を作るために膨大な費用が掛かることも理由としてはあるかもしれません。
しかし、ゴジラが移動するだけで災害になる、という描写は第2形態の上陸~退去で表現しきれていますから、詳細な表現は蛇足ということなのでしょう、
ゴジラが移動しているという表現は、字幕による地名の表示と、日がどんどん暮れていくというところで表しているようです。
1回見ただけでは直感的な移動が理解できませんでした、ここは難しい場面かもしれません。
・進化
ゴジラの形態変化は進化ではなく変態だ、という指摘もありますが、水生生物から陸生生物になり、さらに直立した、という変化はフィクション的に進化という言葉の方がケレン味が効いていてよいと思います。第一、矢口のセリフも「まるで進化だ」であり、進化しているとは直接言っていません。
進化するのはビオランテだけで十分でしょう。
本作で進化していくのは、ゴジラだけではありません。
大河内総理も最初期のぼんやりぶりから、時間が進むにつれてしゃっきりしたリーダーへと変貌を遂げていきます。
はっきりした変化を示すのは、北品川での自衛隊機による攻撃を決断したときのように感じられました。
また、周りの人物もどんどん変化していきます。
郡山危機管理官も、初期からはっきりしているように見えますが、実はどこかあやふやでした。タバ作戦直前の「私は、現場の報告を信じるだけです。」という言葉には、当事者としての意識、意思決定者としての意識がはっきりと表れているように感じました。
次に、主人公矢口についてです、初期から開明な人物のように見える彼も、初期では総理に意見を述べ、決定させようとしているだけです。見方が違うだけで暗闇の中を右往左往しているように見えます。
それをはっきり示しているのは、矢口がゴジラの実物と対峙したのが、ゴジラが港区・千代田区に進行した時点です。問題の中心であり、対象であるゴジラそのものを、その眼で見たのが、映画が開始されてからかなり時間が経ってからというのは面白い構成だと感じました。このとき、矢口ははっきりした敗北感を感じた描写を初めてされています。
被災地域を訪れていたにも関わらず、どこか他人事だったのです。
・ヤシオリ作戦の政治的な判断って?
作戦自体は、面白い怪獣戦闘場面で、政治的な判断が入る要素なんてあんのか?と感じられがちですが、(私は一回目は感じた)、バリバリ政治的な判断を行っていました。
まず、ヤシオリ作戦の開始時点では、住民の避難、その他についての判断が入っています。
また、作戦中には、放射線モニタリングが行われ、線量の基準値のチェックが行われていました。ここで、ゴジラから放出される放射性元素による放射線汚染に対する判断が行われています。
これらの判断を矢口がしているということは、矢口が責任を取るということです。
結局は、里見臨時内閣が解散することで責任は果たされていますが、それだけ自分の進退をどうこうする危うい指揮を行っていたのです。
立川で指揮をとらずに前線へ出たのは、初期の伝言ゲームで対応が遅れていくパロディに対する、前線での素早い判断によって状況が続く、改善されているという描写なのでしょう。
・ヤシオリ作戦について
ヤシオリ作戦でのBGMは宇宙大戦争マーチが選ばれていますが、登場するのは現代兵器・重機ばかりです。
しかし、無人戦闘機プレデターが大量に放射熱線に突っ込んでいく姿は、どこかスピップ号を彷彿とさせました。
ヤシオリ作戦は、庵野秀明総監督による宇宙大戦争なのでしょう。(だからなんだ)
・なんでこんな構成に?
ゴジラと人類との戦闘が中心の特撮場面はおそらく強烈に予算が必要なのでしょう。
ミニチュアセットの画面は、芸術品で見ていて楽しいのですが、こればかりになるとロングショットとアップショットの繰り返しの中で、やがて陳腐なものに見えてくるのです。
それを補おうとするとCGIに頼ることになるのですが、これが強烈な金食い虫で、ハリウッドのヒーローがびゅんびゅん飛んでる映画並みの予算が必要になります。
となると、それくらいの映像をベーシックラインにすると、自然と映像の長さは限られていき……となったのだと思います。
しかし、残りの場面を日本の一番長い日にしたら……?と庵野総監督が好きなものを詰め込むことで仕上げたように感じます。
ダイコン版の帰ってきたウルトラマンの特撮場面は実は少なく、ドラマパートで盛り上げるだけ盛り上げているという構成からの手癖のようにも感じますが、それらを高い水準でまとめ上げているのは大変素晴らしいと思います。パロディでも、突き詰めれば立派な作品になるのですね。
・ゴジラはなんで東京に来るのか
理由なんてない、あえて言えば、東京駅で怪獣がドカンドカンやる場面が撮りたかったんだと思うんですが……。
理由がないとしたら、災害は理由なく人を襲う、という部分の表現なのかもしれません。ゴジラからキャラクター性が最大排されているのも理由を一助していると思います。
岡本喜八監督が呼び寄せたんだと思います。
もしくは、理由がつけば、理由と対峙してしまう、ゴジラ(災害)自体と対峙することに焦点を当てようとするなら、理由がない方が都合がいいのです。
・牧教授は何を好きにしたのか
一番好きにしたのは庵野総監督だと思います。
まだ何か書きたいと感じるかもしれませんがその時は追記で。
5回見ていろいろと感じたところをまとめてみます。
ネタバレばかりだよ
・ゴジラが現れたらどうなるの?
今回の作品は、現場が中心ではなく、政治、つまりリーダーたちがどう対応しているか、ということに焦点が当てられています。
岡本喜八監督「日本の一番長い日」のオマージュを指摘されているのは公然の通りですが、怪獣映画は冒険映画というところから、メインのターゲットは成人済みの人々、ということを考えるとのめりこみやすいのは政治劇なのかもしれません。
しかし、政治というものも、皮をむいてみれば、現場の延長、もっとも抽象的な現場であるということを本作では表現できているのではないでしょうか。
政治は何をするのか、つまり、会議です。
会議による手続き主義によって、状況に対してどんどん対応が遅れていき、被害が拡大していく、という現状への皮肉が描写されているように感じます。
最終的には、やはり政治と民主主義が主導してゴジラを屈服させるところを含めて、全体的には、会議や政治へのパロディーのように感じます。
・米国はケツをまくるのが早い。
日本が主体的に状況に立ち向かうべき、という意思もあるかもしれませんが、
同盟関係にある米国はいやに諦めが早く、ケツをまくるのが大変早いです。
ゴジラ第4形態と自衛隊の総力戦であるタバ作戦の失敗をみるや、朝霞の指揮所から米国の関係者が撤退していくのが早いです。
また、ゴジラの共同研究として送り込まれてきた米国の専門家たちも、ゴジラにフェイズド・アレイ・レーダーと同等の器官が存在することを示唆したのみで、ゴジラが無性生殖による個体の増加の可能性が指摘されるなり、会議室を飛び出していきます。
米国は無責任という意見もあるでしょうが、実のところ、日本も当事者でなければこういう態度に出る可能性はあるでしょう。
国際間の国の関わり合い方というドライな視点かもしれません。
また、臨時内閣組閣直後の外務省報告で「対馬沖で不穏な動きが見られます。」という内容が話されます。これは露骨に中・韓が日本の有事に領域を脅かしていることの示唆で、やはり国の関わり合い方の視点であると感じられます。
・ワープするゴジラ
ゴジラが鎌倉に再上陸し、最終的には東京駅でスリープ状態に入ります。
結構な距離を移動していますが、移動する行程はすべて描写されません。
特撮画面を作るために膨大な費用が掛かることも理由としてはあるかもしれません。
しかし、ゴジラが移動するだけで災害になる、という描写は第2形態の上陸~退去で表現しきれていますから、詳細な表現は蛇足ということなのでしょう、
ゴジラが移動しているという表現は、字幕による地名の表示と、日がどんどん暮れていくというところで表しているようです。
1回見ただけでは直感的な移動が理解できませんでした、ここは難しい場面かもしれません。
・進化
ゴジラの形態変化は進化ではなく変態だ、という指摘もありますが、水生生物から陸生生物になり、さらに直立した、という変化はフィクション的に進化という言葉の方がケレン味が効いていてよいと思います。第一、矢口のセリフも「まるで進化だ」であり、進化しているとは直接言っていません。
進化するのはビオランテだけで十分でしょう。
本作で進化していくのは、ゴジラだけではありません。
大河内総理も最初期のぼんやりぶりから、時間が進むにつれてしゃっきりしたリーダーへと変貌を遂げていきます。
はっきりした変化を示すのは、北品川での自衛隊機による攻撃を決断したときのように感じられました。
また、周りの人物もどんどん変化していきます。
郡山危機管理官も、初期からはっきりしているように見えますが、実はどこかあやふやでした。タバ作戦直前の「私は、現場の報告を信じるだけです。」という言葉には、当事者としての意識、意思決定者としての意識がはっきりと表れているように感じました。
次に、主人公矢口についてです、初期から開明な人物のように見える彼も、初期では総理に意見を述べ、決定させようとしているだけです。見方が違うだけで暗闇の中を右往左往しているように見えます。
それをはっきり示しているのは、矢口がゴジラの実物と対峙したのが、ゴジラが港区・千代田区に進行した時点です。問題の中心であり、対象であるゴジラそのものを、その眼で見たのが、映画が開始されてからかなり時間が経ってからというのは面白い構成だと感じました。このとき、矢口ははっきりした敗北感を感じた描写を初めてされています。
被災地域を訪れていたにも関わらず、どこか他人事だったのです。
・ヤシオリ作戦の政治的な判断って?
作戦自体は、面白い怪獣戦闘場面で、政治的な判断が入る要素なんてあんのか?と感じられがちですが、(私は一回目は感じた)、バリバリ政治的な判断を行っていました。
まず、ヤシオリ作戦の開始時点では、住民の避難、その他についての判断が入っています。
また、作戦中には、放射線モニタリングが行われ、線量の基準値のチェックが行われていました。ここで、ゴジラから放出される放射性元素による放射線汚染に対する判断が行われています。
これらの判断を矢口がしているということは、矢口が責任を取るということです。
結局は、里見臨時内閣が解散することで責任は果たされていますが、それだけ自分の進退をどうこうする危うい指揮を行っていたのです。
立川で指揮をとらずに前線へ出たのは、初期の伝言ゲームで対応が遅れていくパロディに対する、前線での素早い判断によって状況が続く、改善されているという描写なのでしょう。
・ヤシオリ作戦について
ヤシオリ作戦でのBGMは宇宙大戦争マーチが選ばれていますが、登場するのは現代兵器・重機ばかりです。
しかし、無人戦闘機プレデターが大量に放射熱線に突っ込んでいく姿は、どこかスピップ号を彷彿とさせました。
ヤシオリ作戦は、庵野秀明総監督による宇宙大戦争なのでしょう。(だからなんだ)
・なんでこんな構成に?
ゴジラと人類との戦闘が中心の特撮場面はおそらく強烈に予算が必要なのでしょう。
ミニチュアセットの画面は、芸術品で見ていて楽しいのですが、こればかりになるとロングショットとアップショットの繰り返しの中で、やがて陳腐なものに見えてくるのです。
それを補おうとするとCGIに頼ることになるのですが、これが強烈な金食い虫で、ハリウッドのヒーローがびゅんびゅん飛んでる映画並みの予算が必要になります。
となると、それくらいの映像をベーシックラインにすると、自然と映像の長さは限られていき……となったのだと思います。
しかし、残りの場面を日本の一番長い日にしたら……?と庵野総監督が好きなものを詰め込むことで仕上げたように感じます。
ダイコン版の帰ってきたウルトラマンの特撮場面は実は少なく、ドラマパートで盛り上げるだけ盛り上げているという構成からの手癖のようにも感じますが、それらを高い水準でまとめ上げているのは大変素晴らしいと思います。パロディでも、突き詰めれば立派な作品になるのですね。
・ゴジラはなんで東京に来るのか
理由なんてない、あえて言えば、東京駅で怪獣がドカンドカンやる場面が撮りたかったんだと思うんですが……。
理由がないとしたら、災害は理由なく人を襲う、という部分の表現なのかもしれません。ゴジラからキャラクター性が最大排されているのも理由を一助していると思います。
岡本喜八監督が呼び寄せたんだと思います。
もしくは、理由がつけば、理由と対峙してしまう、ゴジラ(災害)自体と対峙することに焦点を当てようとするなら、理由がない方が都合がいいのです。
・牧教授は何を好きにしたのか
一番好きにしたのは庵野総監督だと思います。
まだ何か書きたいと感じるかもしれませんがその時は追記で。